紙越空魚に翻弄される
本当にお久しぶりです。僕です。最後に出したのがALTER EGOの記事なので、1年ぶりくらいですかね。名前が知りたい人はブログのタイトルを見てください。
...さて。
僕は今、裏世界ピクニックという作品を読んでいます。
そして、翻弄されています。
さっさと話を進めよう。前置きが長い奴は何をやってもダメ。
僕が今読んでいる作品は、宮澤伊織さんの『裏世界ピクニック』というものです。百合作品としても名高いSF小説シリーズですね。ご存知ない方はタイトルから想像してみてください。女二人が「裏世界」で「ピクニック」です。微笑ましいですね。それでは読んできてください。今ならKindle版がセール中(※2020/3/15現在)です。
...あ、そうですよね。いきなり買えとか言われても無理に決まってますよね。最初のエピソードが無料で公開されてるので、それを読んでから買って下さい。では行ってらっしゃい。
...行ったか。
...つまり、ここに残っている人間は裏世界ピクニックをちゃんと読んでいる、若しくは読んできた人間というわけだ。
これから僕が挑戦するのは言わば「物語を一枚剥ぐ」行為である。
僕は今日の昼間に3巻を読み終わったところである*1。そして、今から僕がやることは、僕と同等、またはそれ以上に『裏世界ピクニック』を読んでいる人にとっては新たな発見は何もない可能性がある。この記事は「ピについて自力で言語化できそうなことがあるから見守っててくれ、最高に温かい目で」というものだ。自分がたどり着いたものがどれほどのものか、自分ではわからない。だから、もしも僕が当たり前のことや後で覆ることを大声で叫んでいたとしてもそっとしておいて欲しい。後者のパターンならこの記事は間も無く非公開になるだろう。もっとひどい場合だったら、「この子読書に慣れてないんだな」とか心の中で哀れんでくれても構わない*2。
当然だが、この記事は僕の考察を抜きにしても『裏世界ピクニック』のネタバレに該当する。本編読んでないのにここまで来ちゃった人はもう知らないけど、いっそのこと読み物として楽しんでくれたらいいと思う。でも記事読み終わったらちゃんと本編読むんだよ。今回は触れない百合描写もたくさんあるからね。
そういう訳で、どうか最後まで付き合ってやって欲しい。
前置きが長くなってしまった。それでは、ここからはネタバレを解禁しつつゆっくり話を進めていくとしよう。
ご存知の通り、この物語は全編を通して「紙越空魚(かみこし・そらを)」という女子大生の視点で進行する。ここに罠がある。
ゆっくり進めるんだった。が、これだけは頭の隅に置いておいて欲しい。ここに、罠がある。
この空魚という女は自身のことをただの地味な貧乏学生だと思い込んでいる。が、その実態は作中の他のどの人物もドン引きするレベルの壮絶な過去を抱えたとんでもない実績の持ち主である。
本人っぽく要約すれば「親族がカルトにはまったせいで色々な目に遭い、不思議体験までした」という感じなのだが、実際には何度も死にかけているその詳細な様子は本編で少しずつ明らかになっていく。
とてつもなく、あっさりと。
どういうこと???
「主人公の秘められた壮絶な過去」というこってりした豚骨ラーメン同然の情報が、流しそうめんのように目の前を通過していくのだ。
ある時は普通のモノローグと同様に、ある時は「よくある話だと思うんですけど」などと言いながら間を持たせるだけの世間話として語られる。
その度に僕は動揺し、紙越空魚という女に翻弄される。
なんで?????
『裏世界ピクニック』には空魚と行動を共にする「仁科鳥子」というこれまたなかなかの女が登場し、簡単に言うと空魚を振り回す。読んでいる僕が、いわば語り手である空魚と共に鳥子に振り回されるのならまだわかる。しかし、僕は何故か語り手にも振り回されている......?
その謎を解明すべく我々はアマゾンの奥地へと向かった。
『裏世界ピクニック』著者・宮澤伊織さんに対する有名なインタビュー「百合が俺を人間にしてくれた」*3にこのような記述がある。
——そういえば宮澤さんの『裏世界ピクニック』も、一人称小説ですけど、主人公を読者と重ねるような書き方ではないですよね。どちらかといえば、安易な感情移入を拒否しようとしてくるというか。
宮澤 そうですね。叙述トリックというわけではないですが、一人称の強みを可能な限り活かして、主人公が目を向けないところにはあえて描写を入れなかったり、ということを意識して書いています。
申し訳ございませんでした......
誰だ「空魚と共に振り回されるならまだわかる〜」とか言ってた奴は。みっちり反省しやがれ。
さて、ここで「主人公が目を向けないところにはあえて描写を入れなかったり」という発言に注目したい。「主人公が目を向けない場所」ってどこだ......?
- 主人公が見ていない場所
文字通りに捉えたら当然こうなる。しかし、「目を向けない」ということは、物理的なものに限らないだろう。
- 主人公が気にしてないこと
- 主人公の意識に上らないこと
こういった精神面のことに関しても、「目を向けない」のであれば「描かれない」と考えて良いのではないのだろうか?これを元に作者の言葉を解釈すると、こうはならないだろうか。
「主人公にとって普通のことは、取り立てて描かれない可能性がある」
以上のことを踏まえて、空魚の過去とこの作品についてもう一度考える。
空魚は自身の過去を大したことないものだと思っているようである。空魚の過去が本人によってあまりにも容易く語られてしまうのはこれが原因だろう。語り手が他の人物だったりしたら作品内での扱いもまた違ったものになっていた可能性だってあるのだ。
そう。この物語の語り手は他でもない空魚であり、ここに罠がある。
この場合、もし「空魚にとっての普通」と「読者にとっての普通」が一部で大きく乖離していたとしても、空魚があえて普通のことを語らない限り読者は乖離をはっきり認識するのが困難になってしまう可能性が出てくるのだ。
空魚はなんだかんだ根本的には自身をありふれた地味な貧乏学生だと思っているはずだし、特によく側にいる「仁科鳥子」と比べてしまうと、多くの読者にとって空魚はより自分に近い価値観を持った人間であるように映るのではないだろうか?あながち間違っているとは言い難い。たぶん大体はその通りなのだ。大体は。特に作品の序盤では。
平時でもまあまあ色々派手な鳥子に比べれば、空魚はだいぶ落ち着いているように見える。この状態なら、読者からしても空魚が自身を普通の学生として語ることに対して違和感は生じにくいだろう。
しかし、空魚がただの身の上話をする過程で読者の想像もつかないような「空魚の語りの前提」がバンバン明らかになっていく。これが先の記事の聞き手に「安易な感情移入を拒否するよう」と言わしめた、少なくともその原因の一端となるものではないかと思う。
そして最後に、僕が紙越空魚に翻弄されていたのは空魚の語りの前提が僕の常識と全く異なる可能性をはっきり認識していなかったからだと言えよう。認識したところでこの先もこの女には驚かされ続ける気もするが、これで幾分かはマシになるだろう......
これでこの記事の内容は以上となる。最後まで付き合って頂いたディスプレイ越しの貴方に最大限の感謝を。
それにしても話の前提というものは本当に共有されていそうでされていない、難しいものだと思う。もし『裏世界ピクニック』を全く知らない人がこの記事を見つけ、途中のどのリンクも開かずに僕の文だけを読み続けてしまったら、紙越空魚のことはわかっても『裏世界ピクニック』という作品のメインはピクニックとは程遠い怪異系サバイバルホラーであることは知らずにこのページから去ってしまう可能性すらあるのだ。
↓SFサバイバルホラー百合小説