人類には早すぎた女たち 〜『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』を読め〜
宇宙のド田舎ガス惑星で女二人が魚を獲りまくる!な百合SF小説。それが『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』。
はじめに
3月中旬に発売されたばかりの、言うなれば「今一番アツい百合」である。
これだけでピンと来た人は上のリンクから電子書籍でも文庫でも買いましょう。早川書房公式の試し読みも置いておきますね。
なんと2パートも公開されてるんですね。贅沢です。
公開されている部分を読んでもらうだけでもこの本の良さはある程度わかって頂けると思う訳ですが、僕自身もこの本を薦めたくて仕方がないので、もう少し続けさせてもらいます。ネタバレはできる限り避けます。
背景
時は西暦にして8800年。巨大ガス惑星のファット・ビーチ・ボールを周回する16の氏族・計30万人の人々は、礎柱船(ピラーボート)という自在に変形する宇宙船に乗り、惑星の大気圏を泳ぐ謎の生物「昏魚(ベッシュ)」の漁をして暮らしていた。
...アバンっぽくやるのが意外と難しいので諦めてあとは普通に説明します。
今紹介した礎柱船は二人乗りで、乗る人間は「ツイスタ」と「デコンパ」で役割を分担して漁を行います。「ツイスタ」は実際の操縦を行う人で、「デコンパ」は船を変形させたり漁の方法を提案したりする役割です。で、この漁なんですが、必ず夫婦で行わなければなりません。どうしてそうなっているのかについては本編に任せることとしますが、とにかくそういうことになっているのです。
そんな世界で結婚相手探しに苦労していた女性・テラの前に、ある日一人の少女が現れた......
登場人物
- テラ・インターコンチネンタル・エンデヴァ
主人公二人組の、年上の方。背が高い方。想像力がヤバい方。むしろ有り余る想像力で他人を困らせてしまうこともしばしばあり、ついたあだ名は作り話(テル・テール)のテラ。テラ自身はとても優しくて人の気持ちに敏感だが......?
主人公二人組の、年下の方。背が低い方。操縦力がヤバい方。この世界にほぼ存在しない「女ツイスタ」。家出してなんやかんやあってテラのところにやってきたが、その他の部分には謎が多い。名前も自称。
みどころ
この作品の大きな特徴の一つは、とにかく読みやすいということ。全体として物語は結構スムーズに進むし、とにかく勢いがあって爽快な部分がよく目立ちます。一度読み始めてしまえば、読みきった時には「ああ、一気に読んじゃったな。もう一度ゆっくり読み直そう」と思うことでしょう。僕はこれで3回読み直しました。
しかし、爽快なだけがこの本ではありません。丁寧に読み進めていくと約6500年後の世界の裏に隠された文化や慣習が見え隠れします。この物語内の人々にとって「礎柱船」とはなんなのか、それ一つ考えるだけで時間が溶けていく。その上この作品は宇宙百合SFでありながら社会派的な面も持ち合わせています。漁を行うのは夫婦のみと決められた世界で女性同士の漁を行おうとする二人がぶち当たる数々の問題の中には、2020年にも通じるものもあるかも......?
一気に読んで気持ちいい、じっくり読んで興味深い。『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』はそういう小説なのです。
さて、お待ちかねの百合の話です。この点についてはやはり欲張りな作品という表現がお似合いだと言えましょう。テラとダイオードの漁師としての活躍以外にも色々なシチュエーションが描かれます。仕事に止まらない私生活での交流を通して、テラにとってダイオードがどのような存在であるのか、しっかり向き合っていくのです。ここに関しては本編で楽しむのが一番なので言及はこれくらいにしておきますが、絶対に目を逸らしてはいけない。
もちろん、二人が漁を行うシーンもとても良い。軽口を叩き合いながらも自分の仕事はしっかりこなす天才女女が見たくないか?この二人なら最高の仕事ができるし、それ以外で組んでも仕事にならない。そんな必要十分な女二人が見たくはないか???俺は見たいし、見た。せっかくなので好きなやり取りを一箇所だけ......
「普段まともじゃなくて悪かったですね!」
「それが売りじゃないですか。 ——行きます」
文脈無視の切り取りですが、わかりますね?こういうことです。もう僕から語ることはありません。
おわりに
「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」の魅力をできる限り伝えたつもりですが、本編の素晴らしさはこんなものではありません。この文章から作品の良さを感じ取っていただけたなら本編を読めばきっと素敵な体験ができますし、よくわからなかった方もお願いなので自分で試し読みだけでもしてください......。
というわけで、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。最後にAmazonへのリンクをもう一度貼ってお別れといたします。
買いましたか?それではもうこの記事のことは忘れて、遠い未来の宇宙の世界へ行ってらっしゃいませ......
逞しい百合厨になりたい
どうも。僕です。
1年ぶりの更新となった裏世界ピクニックの記事を出してからまだ日が浅いが、うっかり書きたいことができてしまったおかげでまた筆を執ることになってしまった。
それもそのはずで、この外出自粛ムードの上に僕自身も2月の末に体調を崩してしまった。結果、流れで軽い引きこもり癖がついてしまった。
サークル等の仕事は普通に飛んでくるから、家にいたところで暇の無間地獄に落ちるといったことはあり得ない(何もしてなかったら怒られるまである)。だが、あまりに家に居過ぎて大学の授業が再開しても家から出られないとかいう事態は避けなければならない......
だから、僕は本屋に行くことにした。
そして今日*1、この自粛ムードが始まってから6冊目の百合小説を手に入れた。6冊というと、多分僕が去年一年間で読んだ本の数より多い。
その6冊目はもちろんまだ読んでいないからこの記事で触れることはできない(気になる人はTwitterでも見ててくれればそのうち話すと思う、記事になるかは知らん)。今日は5冊目に関わる記事になる。ちなみに4冊目までは全部裏世界ピクニック。
その作品とは、『ハーモニー』。
界隈では伝説的百合SFとして名高い、伊藤計劃氏の傑作である。SFマガジン百合特集の頃から気になっていたのだが、ついに今回手に取ることができた。
ここではあらすじの紹介はしないでおくし、感想も色々あるにはあるのだが、とりあえずは「めっちゃ良かった」くらいに留めておきたい。今回したいのはそういう話じゃない。
『ハーモニー』は確かに百合として素晴らしいのだけど、百合である以前にSFであると、そう感じさせる作品だった。実際のところ僕自身はSFに詳しくないどころか読むのもほぼ素人であるから「そう感じた」の域は出ないが、作品内で展開される理論に対する納得感が強く印象に残っている。言い換えれば、百合目的で買ったんだけど理論の緻密さとかその辺の「SFっぽい部分*2」に(予想外に)感心したということ。感心したというか、させられた。ロジックにねじ伏せられた。
で、その後の僕がどうなったかというと、この『ハーモニー』という作品が百合として注目を集めるまでの過程に想いを馳せていた。
『ハーモニー』が発表された頃の僕は当然百合とは縁遠い存在だったから実際のところは全くわからないのだが、この本を売ろうとしたときに「百合です!!!!!」と叫ぶ人間はかなり少ないだろうと思った。というかSFとして売り出した方が良いに決まってるし、多分実際もそうだったんだろうな、と感じている。感じているだけだけど......流石に間違ってないでしょ......
まあそうであったと仮定しよう。そうでなくても良いのだが、『ハーモニー』が百合として知られている以上は誰かが「百合だ!!!!!」と叫んだはずなのである。仮定が正しければ、それは遅かれ早かれ発売後であるはずだ。
つまり、この作品を何も参照せずに読んだ上で「百合だ!!!!!」と叫ぶことができた人間がいるはずなのだ。そして、傑作SFとしてだけでなく、百合としても注目されるようになった。そういうことではないかと考えていた。
現在、既に百合として打ち出されているコンテンツは存在するし、タイトルに「百合」と入っている作品だってある(批判じゃないよ*3)。僕たちはそういう作品に触れているだけで十分に楽しめるはずだし、満足できると思う。それはとても素晴らしくて幸せなことだ。
一方で、世界には百合を嗜むだけでなく、百合を見つけ出す人がいる。
SFとして売り出された小説に、クソアニメを自称する作品に、はたまた自然の風景に、自力で百合を見出すことができる人々は実際に居る*4。
そういう人々はきっと、例え百合を意識した作品の供給が途絶えたとしても(もしくは百合というジャンルが日の目を見る前から)、百合とは言われていない作品から自ら百合を見出して生きていくことができる(生きてきた)のだ。
そういう人々を、僕は敬意を込めて「逞しい百合厨」と呼びたい。
そして、そういう人に僕はなりたい。
*1:2020年3月21日。つまり昨日のこと。
*2:SFをSFたらしめるものが何なのかとかはよくわからないので、どうしてもこういう表現になってしまう。
*3:事実だよ。
*4:風景と百合についてはこちらの記事を参照してください→https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0
紙越空魚に翻弄される
本当にお久しぶりです。僕です。最後に出したのがALTER EGOの記事なので、1年ぶりくらいですかね。名前が知りたい人はブログのタイトルを見てください。
...さて。
僕は今、裏世界ピクニックという作品を読んでいます。
そして、翻弄されています。
さっさと話を進めよう。前置きが長い奴は何をやってもダメ。
僕が今読んでいる作品は、宮澤伊織さんの『裏世界ピクニック』というものです。百合作品としても名高いSF小説シリーズですね。ご存知ない方はタイトルから想像してみてください。女二人が「裏世界」で「ピクニック」です。微笑ましいですね。それでは読んできてください。今ならKindle版がセール中(※2020/3/15現在)です。
...あ、そうですよね。いきなり買えとか言われても無理に決まってますよね。最初のエピソードが無料で公開されてるので、それを読んでから買って下さい。では行ってらっしゃい。
...行ったか。
...つまり、ここに残っている人間は裏世界ピクニックをちゃんと読んでいる、若しくは読んできた人間というわけだ。
これから僕が挑戦するのは言わば「物語を一枚剥ぐ」行為である。
僕は今日の昼間に3巻を読み終わったところである*1。そして、今から僕がやることは、僕と同等、またはそれ以上に『裏世界ピクニック』を読んでいる人にとっては新たな発見は何もない可能性がある。この記事は「ピについて自力で言語化できそうなことがあるから見守っててくれ、最高に温かい目で」というものだ。自分がたどり着いたものがどれほどのものか、自分ではわからない。だから、もしも僕が当たり前のことや後で覆ることを大声で叫んでいたとしてもそっとしておいて欲しい。後者のパターンならこの記事は間も無く非公開になるだろう。もっとひどい場合だったら、「この子読書に慣れてないんだな」とか心の中で哀れんでくれても構わない*2。
当然だが、この記事は僕の考察を抜きにしても『裏世界ピクニック』のネタバレに該当する。本編読んでないのにここまで来ちゃった人はもう知らないけど、いっそのこと読み物として楽しんでくれたらいいと思う。でも記事読み終わったらちゃんと本編読むんだよ。今回は触れない百合描写もたくさんあるからね。
そういう訳で、どうか最後まで付き合ってやって欲しい。
前置きが長くなってしまった。それでは、ここからはネタバレを解禁しつつゆっくり話を進めていくとしよう。
ご存知の通り、この物語は全編を通して「紙越空魚(かみこし・そらを)」という女子大生の視点で進行する。ここに罠がある。
ゆっくり進めるんだった。が、これだけは頭の隅に置いておいて欲しい。ここに、罠がある。
この空魚という女は自身のことをただの地味な貧乏学生だと思い込んでいる。が、その実態は作中の他のどの人物もドン引きするレベルの壮絶な過去を抱えたとんでもない実績の持ち主である。
本人っぽく要約すれば「親族がカルトにはまったせいで色々な目に遭い、不思議体験までした」という感じなのだが、実際には何度も死にかけているその詳細な様子は本編で少しずつ明らかになっていく。
とてつもなく、あっさりと。
どういうこと???
「主人公の秘められた壮絶な過去」というこってりした豚骨ラーメン同然の情報が、流しそうめんのように目の前を通過していくのだ。
ある時は普通のモノローグと同様に、ある時は「よくある話だと思うんですけど」などと言いながら間を持たせるだけの世間話として語られる。
その度に僕は動揺し、紙越空魚という女に翻弄される。
なんで?????
『裏世界ピクニック』には空魚と行動を共にする「仁科鳥子」というこれまたなかなかの女が登場し、簡単に言うと空魚を振り回す。読んでいる僕が、いわば語り手である空魚と共に鳥子に振り回されるのならまだわかる。しかし、僕は何故か語り手にも振り回されている......?
その謎を解明すべく我々はアマゾンの奥地へと向かった。
『裏世界ピクニック』著者・宮澤伊織さんに対する有名なインタビュー「百合が俺を人間にしてくれた」*3にこのような記述がある。
——そういえば宮澤さんの『裏世界ピクニック』も、一人称小説ですけど、主人公を読者と重ねるような書き方ではないですよね。どちらかといえば、安易な感情移入を拒否しようとしてくるというか。
宮澤 そうですね。叙述トリックというわけではないですが、一人称の強みを可能な限り活かして、主人公が目を向けないところにはあえて描写を入れなかったり、ということを意識して書いています。
申し訳ございませんでした......
誰だ「空魚と共に振り回されるならまだわかる〜」とか言ってた奴は。みっちり反省しやがれ。
さて、ここで「主人公が目を向けないところにはあえて描写を入れなかったり」という発言に注目したい。「主人公が目を向けない場所」ってどこだ......?
- 主人公が見ていない場所
文字通りに捉えたら当然こうなる。しかし、「目を向けない」ということは、物理的なものに限らないだろう。
- 主人公が気にしてないこと
- 主人公の意識に上らないこと
こういった精神面のことに関しても、「目を向けない」のであれば「描かれない」と考えて良いのではないのだろうか?これを元に作者の言葉を解釈すると、こうはならないだろうか。
「主人公にとって普通のことは、取り立てて描かれない可能性がある」
以上のことを踏まえて、空魚の過去とこの作品についてもう一度考える。
空魚は自身の過去を大したことないものだと思っているようである。空魚の過去が本人によってあまりにも容易く語られてしまうのはこれが原因だろう。語り手が他の人物だったりしたら作品内での扱いもまた違ったものになっていた可能性だってあるのだ。
そう。この物語の語り手は他でもない空魚であり、ここに罠がある。
この場合、もし「空魚にとっての普通」と「読者にとっての普通」が一部で大きく乖離していたとしても、空魚があえて普通のことを語らない限り読者は乖離をはっきり認識するのが困難になってしまう可能性が出てくるのだ。
空魚はなんだかんだ根本的には自身をありふれた地味な貧乏学生だと思っているはずだし、特によく側にいる「仁科鳥子」と比べてしまうと、多くの読者にとって空魚はより自分に近い価値観を持った人間であるように映るのではないだろうか?あながち間違っているとは言い難い。たぶん大体はその通りなのだ。大体は。特に作品の序盤では。
平時でもまあまあ色々派手な鳥子に比べれば、空魚はだいぶ落ち着いているように見える。この状態なら、読者からしても空魚が自身を普通の学生として語ることに対して違和感は生じにくいだろう。
しかし、空魚がただの身の上話をする過程で読者の想像もつかないような「空魚の語りの前提」がバンバン明らかになっていく。これが先の記事の聞き手に「安易な感情移入を拒否するよう」と言わしめた、少なくともその原因の一端となるものではないかと思う。
そして最後に、僕が紙越空魚に翻弄されていたのは空魚の語りの前提が僕の常識と全く異なる可能性をはっきり認識していなかったからだと言えよう。認識したところでこの先もこの女には驚かされ続ける気もするが、これで幾分かはマシになるだろう......
これでこの記事の内容は以上となる。最後まで付き合って頂いたディスプレイ越しの貴方に最大限の感謝を。
それにしても話の前提というものは本当に共有されていそうでされていない、難しいものだと思う。もし『裏世界ピクニック』を全く知らない人がこの記事を見つけ、途中のどのリンクも開かずに僕の文だけを読み続けてしまったら、紙越空魚のことはわかっても『裏世界ピクニック』という作品のメインはピクニックとは程遠い怪異系サバイバルホラーであることは知らずにこのページから去ってしまう可能性すらあるのだ。
↓SFサバイバルホラー百合小説
オルタエゴの話をします
結局僕たちは百合から逃れられないのか
ちゃんと記事を書くのは初めてですね(この段階ではちゃんと記事になるのかわかっていない)。自己紹介以来です。スマです。
突然ですがこちらをどうぞ。
百合好きが陥る「自分百合好きじゃない問題」、ブログ書けそうなくらい思うところはある
— スマP (@__Sma__p) 2018年10月22日
平たく言うと百合好きって「求めるもの」が多分まずあって、それが多くの場合百合で手に入るってことで、つまるところ「それ」が手に入ればNLでも満足できるのではないかという議論
— スマP (@__Sma__p) 2018年10月23日
せっかくなのでこれについてもう少し掘り下げたいな、という旨の文章です。まぁ上のツイートにほぼ集約されていると言えばされているのですけれど。
既に僕のTLで言及されている内容にもかなり触れるので、もしまとめ記事っぽく映ってしまってもそこは許していただきたい。あと、今回はBLで同じ内容が言えるかについては一切言及しません。詳しくないので。
A.何故百合を求めるのか
B.「関係性」
A.
そもそも、この文章を読んでいる百合好きの皆さんは「自分は百合が好きなわけではないのかもしれない」と思ったことがありますか?僕の答えは、この件に関して筆を執った時点でお察しですが、「ある」です。そして僕が先のようなツイートをしたのも、これに似た状況になった(と思われた)方がTLにいたからなんですね。あ、皆さんの答えは別にどっちでもいいです。
これについて僕が考える原因は既に述べた通りです。少し言葉を変えるなら、百合好きには「求めるもの」、敢えてこういう言い方をすれば「性癖に刺さる何か」があって、それを求めて百合作品を漁っている(摂取している)ことに気づいてしまう、ということであり、最高に縮めれば「本当に求めているのは百合自体ではないと気づくこと」であります。これが真実かどうかはさておき。
百合を摂取するなら百合自体を求めなければならないなんて決まりはありません(百合は全人類へ開かれている)から、このような人が「何か」を求めて百合を摂取することに対して僕は異論はありませんし、僕も百合自体を求めているとは言い難い。ならば次に思うことは一つしかなくて、その「何か」ってなんだ?
女の子同士の恋愛?いや、それは百合そのもの。
さて、百合界隈には百合の特徴をよく捉えていて、それでいてとても簡単な言葉があります。それが「関係性」です。
B.
界隈の人間にはなんとなくわかってもらえると思いますが、この「関係性」が百合において重要な役割を果たす場合がしばしばあるわけです。これは女性同士の互いに対する感情から生まれると言ってよく、それは何も恋愛だけではありません。百合の関係性の可能性は無限大です。
最近「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」という素晴らしいアニメが放送されまして、この登場人物では石動双葉と花柳香子の関係性がこの説明にぴったりだと思うんですね。確実に長くなるしネタバレにもなりますのでここでは詳細は省きますが、知らなくて気になるという人はある程度覚悟してから「ふたかお」で検索してください。
(そろそろ現代文でも解いてるみたいな気分になってきたのでは?後ろに設問はついてないので安心してくださいね)
僕は(百合自体を求めている人を除いて)百合好きには、意識的にせよ無意識にせよこの関係性を求めている人がかなり(ほとんど?)を占めているのではないかと思っていて、というのも、だいたいの人について「NLを通らずして百合にたどり着くとは考えにくい」からです。
僕は基本的に恋愛モノ等には疎いので本来はあまり語るべきではないのかもしれませんが、考えてもみれば関係性なんてものはNLには最悪なくてもいいわけで(あってもいいけど)、「男女だから恋に落ちた」で片付けることも可能です。この状況下ではどうも男女の関係はやんわり制限されてくると思うのです(だから悪いとかではない)。この中で各人の「刺さる関係性」を見出せればいいのですが、モノによってはなかなか大変ですし、そもそも恋愛が刺さらなかったらさらに厳しい話です。そんな人々は百合にたどり着くのではないでしょうか?
NLが劣ると言いたいわけじゃないのはわかっていただきたい。NLだと展開できない関係性があるということではないし、なにより、NLでも展開できるから百合好きが最初に述べたような問題に陥るわけです。自分が求めているものは百合自体ではないと気づく時、それは百合以外で自分に刺さる関係性を見つけた時ですから。
自分でもすっかり忘れてましたが、ここまで来たらタイトルは最早大きな意味を持ちませんね。すいません。
少し掘り下げるとは何だったのか。2時間くらいで一気に掘ったので少し不安が残る文章ではありますが、せっかく書いたのでとりあえず公開します。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
ごあいさつ
どうも。スマ(スマP)です。プロデューサーだったり、音ゲーマーだったり、ちょっぴり百合好きだったりします。他の趣味の話はあまりしないかと。
ご存知の方もいると思いますけど、今のところ既に別のサイトでブログ持ってるんですよね。でも、なんかこう、おおっぴらにはやれないことってあるじゃないですか。ガンガン百合の話をしたいときとか。推しを語るときとか。そういう時に気軽に、大して推敲もせずポンと投げるような、そんな場所にするつもりです。
それに、前々から書きたかったこともあったし。それはしばらく後(来週なのか来年なのかは不明)のお楽しみということで。
皆さんが見るときの気分はホントにTwitterと同じ感じでいいです。ワンクリック挟むけど、ぼくの脳内が見れると思って許して下さい。小銭稼ぎも断じてしないしできない。
と、そんな感じでこれからもよろしくお願いします。
よし、推敲しないって言ったから推敲せずに記事出せるぞ。向こうのマジメブログに比べていい意味で質を落としていこう。