逞しい百合厨になりたい
どうも。僕です。
1年ぶりの更新となった裏世界ピクニックの記事を出してからまだ日が浅いが、うっかり書きたいことができてしまったおかげでまた筆を執ることになってしまった。
それもそのはずで、この外出自粛ムードの上に僕自身も2月の末に体調を崩してしまった。結果、流れで軽い引きこもり癖がついてしまった。
サークル等の仕事は普通に飛んでくるから、家にいたところで暇の無間地獄に落ちるといったことはあり得ない(何もしてなかったら怒られるまである)。だが、あまりに家に居過ぎて大学の授業が再開しても家から出られないとかいう事態は避けなければならない......
だから、僕は本屋に行くことにした。
そして今日*1、この自粛ムードが始まってから6冊目の百合小説を手に入れた。6冊というと、多分僕が去年一年間で読んだ本の数より多い。
その6冊目はもちろんまだ読んでいないからこの記事で触れることはできない(気になる人はTwitterでも見ててくれればそのうち話すと思う、記事になるかは知らん)。今日は5冊目に関わる記事になる。ちなみに4冊目までは全部裏世界ピクニック。
その作品とは、『ハーモニー』。
界隈では伝説的百合SFとして名高い、伊藤計劃氏の傑作である。SFマガジン百合特集の頃から気になっていたのだが、ついに今回手に取ることができた。
ここではあらすじの紹介はしないでおくし、感想も色々あるにはあるのだが、とりあえずは「めっちゃ良かった」くらいに留めておきたい。今回したいのはそういう話じゃない。
『ハーモニー』は確かに百合として素晴らしいのだけど、百合である以前にSFであると、そう感じさせる作品だった。実際のところ僕自身はSFに詳しくないどころか読むのもほぼ素人であるから「そう感じた」の域は出ないが、作品内で展開される理論に対する納得感が強く印象に残っている。言い換えれば、百合目的で買ったんだけど理論の緻密さとかその辺の「SFっぽい部分*2」に(予想外に)感心したということ。感心したというか、させられた。ロジックにねじ伏せられた。
で、その後の僕がどうなったかというと、この『ハーモニー』という作品が百合として注目を集めるまでの過程に想いを馳せていた。
『ハーモニー』が発表された頃の僕は当然百合とは縁遠い存在だったから実際のところは全くわからないのだが、この本を売ろうとしたときに「百合です!!!!!」と叫ぶ人間はかなり少ないだろうと思った。というかSFとして売り出した方が良いに決まってるし、多分実際もそうだったんだろうな、と感じている。感じているだけだけど......流石に間違ってないでしょ......
まあそうであったと仮定しよう。そうでなくても良いのだが、『ハーモニー』が百合として知られている以上は誰かが「百合だ!!!!!」と叫んだはずなのである。仮定が正しければ、それは遅かれ早かれ発売後であるはずだ。
つまり、この作品を何も参照せずに読んだ上で「百合だ!!!!!」と叫ぶことができた人間がいるはずなのだ。そして、傑作SFとしてだけでなく、百合としても注目されるようになった。そういうことではないかと考えていた。
現在、既に百合として打ち出されているコンテンツは存在するし、タイトルに「百合」と入っている作品だってある(批判じゃないよ*3)。僕たちはそういう作品に触れているだけで十分に楽しめるはずだし、満足できると思う。それはとても素晴らしくて幸せなことだ。
一方で、世界には百合を嗜むだけでなく、百合を見つけ出す人がいる。
SFとして売り出された小説に、クソアニメを自称する作品に、はたまた自然の風景に、自力で百合を見出すことができる人々は実際に居る*4。
そういう人々はきっと、例え百合を意識した作品の供給が途絶えたとしても(もしくは百合というジャンルが日の目を見る前から)、百合とは言われていない作品から自ら百合を見出して生きていくことができる(生きてきた)のだ。
そういう人々を、僕は敬意を込めて「逞しい百合厨」と呼びたい。
そして、そういう人に僕はなりたい。
*1:2020年3月21日。つまり昨日のこと。
*2:SFをSFたらしめるものが何なのかとかはよくわからないので、どうしてもこういう表現になってしまう。
*3:事実だよ。
*4:風景と百合についてはこちらの記事を参照してください→https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0