結局僕たちは百合から逃れられないのか
ちゃんと記事を書くのは初めてですね(この段階ではちゃんと記事になるのかわかっていない)。自己紹介以来です。スマです。
突然ですがこちらをどうぞ。
百合好きが陥る「自分百合好きじゃない問題」、ブログ書けそうなくらい思うところはある
— スマP (@__Sma__p) 2018年10月22日
平たく言うと百合好きって「求めるもの」が多分まずあって、それが多くの場合百合で手に入るってことで、つまるところ「それ」が手に入ればNLでも満足できるのではないかという議論
— スマP (@__Sma__p) 2018年10月23日
せっかくなのでこれについてもう少し掘り下げたいな、という旨の文章です。まぁ上のツイートにほぼ集約されていると言えばされているのですけれど。
既に僕のTLで言及されている内容にもかなり触れるので、もしまとめ記事っぽく映ってしまってもそこは許していただきたい。あと、今回はBLで同じ内容が言えるかについては一切言及しません。詳しくないので。
A.何故百合を求めるのか
B.「関係性」
A.
そもそも、この文章を読んでいる百合好きの皆さんは「自分は百合が好きなわけではないのかもしれない」と思ったことがありますか?僕の答えは、この件に関して筆を執った時点でお察しですが、「ある」です。そして僕が先のようなツイートをしたのも、これに似た状況になった(と思われた)方がTLにいたからなんですね。あ、皆さんの答えは別にどっちでもいいです。
これについて僕が考える原因は既に述べた通りです。少し言葉を変えるなら、百合好きには「求めるもの」、敢えてこういう言い方をすれば「性癖に刺さる何か」があって、それを求めて百合作品を漁っている(摂取している)ことに気づいてしまう、ということであり、最高に縮めれば「本当に求めているのは百合自体ではないと気づくこと」であります。これが真実かどうかはさておき。
百合を摂取するなら百合自体を求めなければならないなんて決まりはありません(百合は全人類へ開かれている)から、このような人が「何か」を求めて百合を摂取することに対して僕は異論はありませんし、僕も百合自体を求めているとは言い難い。ならば次に思うことは一つしかなくて、その「何か」ってなんだ?
女の子同士の恋愛?いや、それは百合そのもの。
さて、百合界隈には百合の特徴をよく捉えていて、それでいてとても簡単な言葉があります。それが「関係性」です。
B.
界隈の人間にはなんとなくわかってもらえると思いますが、この「関係性」が百合において重要な役割を果たす場合がしばしばあるわけです。これは女性同士の互いに対する感情から生まれると言ってよく、それは何も恋愛だけではありません。百合の関係性の可能性は無限大です。
最近「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」という素晴らしいアニメが放送されまして、この登場人物では石動双葉と花柳香子の関係性がこの説明にぴったりだと思うんですね。確実に長くなるしネタバレにもなりますのでここでは詳細は省きますが、知らなくて気になるという人はある程度覚悟してから「ふたかお」で検索してください。
(そろそろ現代文でも解いてるみたいな気分になってきたのでは?後ろに設問はついてないので安心してくださいね)
僕は(百合自体を求めている人を除いて)百合好きには、意識的にせよ無意識にせよこの関係性を求めている人がかなり(ほとんど?)を占めているのではないかと思っていて、というのも、だいたいの人について「NLを通らずして百合にたどり着くとは考えにくい」からです。
僕は基本的に恋愛モノ等には疎いので本来はあまり語るべきではないのかもしれませんが、考えてもみれば関係性なんてものはNLには最悪なくてもいいわけで(あってもいいけど)、「男女だから恋に落ちた」で片付けることも可能です。この状況下ではどうも男女の関係はやんわり制限されてくると思うのです(だから悪いとかではない)。この中で各人の「刺さる関係性」を見出せればいいのですが、モノによってはなかなか大変ですし、そもそも恋愛が刺さらなかったらさらに厳しい話です。そんな人々は百合にたどり着くのではないでしょうか?
NLが劣ると言いたいわけじゃないのはわかっていただきたい。NLだと展開できない関係性があるということではないし、なにより、NLでも展開できるから百合好きが最初に述べたような問題に陥るわけです。自分が求めているものは百合自体ではないと気づく時、それは百合以外で自分に刺さる関係性を見つけた時ですから。
自分でもすっかり忘れてましたが、ここまで来たらタイトルは最早大きな意味を持ちませんね。すいません。
少し掘り下げるとは何だったのか。2時間くらいで一気に掘ったので少し不安が残る文章ではありますが、せっかく書いたのでとりあえず公開します。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。